さてさて以前から走ってみたいコースがありました
それがこちら↓
富山県南砺(なんと)市の国道304号 五箇山トンネルの旧道です
上の地図でいう白い部分の道
まずは旧・東礪波(となみ)郡城端(じょうはな)町側より向かいます
五箇山トンネルの手前を細尾峠方面に入ります
これがトンネルが出来る前の旧国道となります
1984年(昭和59年)3月10日に五箇山トンネル(3070m)を含む
延長3350mのバイパス道路が開通した
BY ウイキペディア
その入り口からすでに深い谷の向こうに続く道が見えております
これは見ただけで楽しそうですw
ちなみにこの谷の名が人喰(ひとくい)谷であります
非常に恐ろしい名前であります
国土地理院の地図にもしっかり人喰谷と表示されておりますよ
一応ここに来る前に本当に人喰谷と呼ばれているのか?と
下流にあります橋も確かめております
人喰谷川 やはり間違いないようですw
この恐ろしい名前の由来は・・・
五箇山の昔ばなし
昔、五箇山のひとが城端町へ出るとき、朴(ほう)峠の道をとおっておりました。この峠を少し下った所に、「横わたりの難所」といわれる所があります。木が生えない岩山を横ぎって向こうがわへわたるところです。
五箇山のひとたちは、重い荷物をかついで、この峠道を往き来しました。荷物を運ぶ人をボッカ(歩荷)といいました。
ボッカは、八〇センチほどの長さのネンジョウ(荷負杖)をつえにして歩きました。ネンジョウの先の鉄の輪が、石にあたるたびに、カチンカチンと音をひびかせました。疲れてくると、これを荷の下にあてて荷縄をゆるめては、肩を休めました。
ある年の冬の日のことです。ボッカの隊列が、横わたりの谷にさしかかったとき、大きな雪崩が落ちてきました。雪崩は、声をあげるいとまもないほどに、一瞬のうちに通りすぎて、あたりの物すべてを深い谷底に突き落としてしまいました。まるで、谷がすべてのものを呑みこんでしまったかのようでした。
長い冬がすぎて春がやってきました。谷間の雪がとけはじめると、川下の二ツ屋の村へ、ボッカの数だけネンジョウが流れてきました。
やがて、谷の雪はすっかり消えてしまいましたが、ボッカの姿はどこにも見つかりませんでした。
それからのちは、この恐ろしい谷を、土地の人はシトクライといい人喰谷と書きました。きっと、谷がボッカを一人残らず食べてしまったのだろうといってこの名がついたのです。
参考こちら
謂(いわ)れもこれまた恐ろしい話のようです
そのトンネル脇の入り口には簡易A型ゲートが片側に寄せてありました
ゲートはありますが、決して通行止めではないようです
では早速人喰谷へと・・・
↑こんな深い谷を走って行きます 実に楽しいw
谷の最深部で折り返します
ちなみに通行量は全くありません
こんなとこを通るのはわたくしのようなもの好きだけw
ただしこの時期はご覧のように雑草が生い茂っており
まるで廃道の雰囲気です
↑谷の反対から見た五箇山トンネルの入り口ですね
人喰谷を抜けてもまだまだ深い断崖部分を走って行きます
旧・城端町の景色も見えてほんと楽しい道です
そして分岐個所に・・・
左にトンネルが見えておりますね
こちら扁額もございませんが、これが細尾トンネルであります
旧国道はこのトンネルを抜けて行きます
日本縦断各駅停車さんの記事を見ますと
このトンネルの中をバスが走っております
これはすごい!(是非見て下さい)
こんな深い谷の旧道をバスが走っていたことに驚きを隠せません
絶対対向車は難儀しただろうなと容易に推測出来ます
またこれとは別にこのトンネル手前には以前まで峠茶屋もあったようです
(国土地理院の地図には赤い建物が表示してあります)
ただしこちら2008年日本縦断各駅停車さんが行かれた時にはすでに廃墟状態
さらにはわたくしのブログ友達の森氏さんが2015年に行かれた時には
すでに解体済みでした(記事こちら)
↑画像お借りしました
これ今は跡形もなく消えておりまして
わたくし峠茶屋の存在そのものにも全く気付きませんでした
遠い昔、バスも走っていた時代には営業出来たかも知れませんが
五箇山トンネル完成と同時期に消えてしまったのでしょうね・・・
さて実はこのままトンネルを抜けて行くつもりだったのですが・・・
このトンネル脇から延びるこのダートの道
これを見たら一気に気が変わりましたw
おお!ダートではないか!?これは行かねば!とw
と、言うわけで次回はこのダート道
袴腰(はかまごし)林道のお話です
こちらもめちゃくちゃ楽しかったです お勧め林道ですよw
追記
わたくしのブログお友達のRKパパさんが
ここと袴腰林道に2015年に行っておみえでした
衝撃的画像のある記事はこちらです