前回紹介の森の石松の墓
実は愛知県新城市にもお墓があるのです
大洞(だいとう)院(曹洞宗)のものが有名だが、
他にも墓とされるものは複数あり、
どれが正墓が定かではない
新城市の洞雲(とううん)寺にもお墓があります
(もちろん過去にこちらにも訪れて記事にしてます)
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で、そのお墓なんですが、このお寺の境内にあるのではなく

お寺より東方向に向かった
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かなり離れた個所にあるお墓の一角に森の石松の墓があるのでした
(前回は境内の中を散々探し見つからず
もしかしたらとこっちのお墓を訪ねたらやっと見つかったのでした)


この墓地の左側やや奥の方に森の石松のお墓があります
(案内板は一切ありません!)

ちょっと寂しい砂利敷きに並べられた古臭いお墓の中のひとつ

↑この自然石が森の石松の墓なのです
見るからわかるように墓碑銘も何も彫られていません
これじゃあ普通わかりません
目印はすぐ横にある輪っかがいくつか重ねてあるような白いお墓(?)と

その肝心の石松の墓の目に前に小銭がいくつか落ちています
(こちらのお墓でもギャンブル絡みとなってます)
これを目印に探し当ててください
以下、いろんなサイトからこちらにあるお墓の情報を集めてみました
生誕の地とされる洞雲寺の墓は、自然石。
文久2年(1862年)、弟の佐与吉が石松の首を持ち帰り、洞雲寺に埋葬しようとしたところ、ヤクザ者ということで村での評判が悪く、村人は大反対。
葬儀ができず、首を入れた甕(かめ)だけを埋め、その上に自然石を置いたと伝えられているのです。
実際、昭和54年頃、墓所の修復を行なった際に、首が入るほどの大きさの甕が出土し、そのまま埋め戻したのだとか。
洞雲寺境内には、もともとは庄屋だったという石松の生家・山本庄次郎家代々の墓もありますが、過去帳にも石松の名はなく、森の石松の生家跡と自然石の墓石だけが名残りとなっています。
清水の次郎長 の子分であり、大政小政とともに活躍した森の石松は、
浜松の都鳥一家のだまし討ちにあい、文久2年 37歳で没。
一緒にいた弟の庄治朗が石松の遺体を馬につけ、
故郷の洞雲寺に運んで葬ったという。
(なぜか弟の名前が前述のものと合っていない・・・)
以前は小さな案内板があったのだが、
墓に悪さをされたので取ってしまったという。
和尚さんの話では、勝負運を授かろうと墓石を欠いて持ち帰った男が、
帰りがけに事故を起こし怖くなって返しに来た事があった、
その時のかけらがそれだと墓の横にある石ころを指さして云った。
また、ある時、何度司法試験を受けても受からぬので、
これを最後に諦めようと石松の墓にお参りしたら見事合格した。
或いは、税理士の試験に受かった者、
それからもちろん受験の合格祈願に訪れる者もいるという。
だが、宝くじを墓前に当選祈願した人で当たったのは聞いたことがないそうだ。
(表情からはジョークかどうか判らなかった)
八名(やな)の歴史を学ぶ会
http://tomioka-aichi.jp/isan/shijitsu/ishimatu.pdf
病で妻に先立たれたばかりの次郎長と共に宿敵を討ち果たし,
親分の御礼参りの代参(だいさん)で金刀比羅宮(ことひらぐう)へ出かけた帰路,
方々から預かっていた次郎長への香典を狙ねらった
侠客の都田(みやこだ)の吉兵衛(きちべえ)
講談や浪花節では「都鳥」とされる)に,
遠州中郡(浜松市浜北区小松と思われる)にて騙(だま)し討ちに遭い,
斬られて死亡した。
吉兵衛は翌1851年(万延2年),次郎長によって討ち果たされる。
(新城市)富岡での石松評価は最悪です。
やくざ者として村人から嫌われたため,
葬式も普通に出させてもらえず,戒名(かいみょう)もなく,
石塔も建てられませんでした。
これまでに,森の石松でまちおこしを考えたこともあったようですが,
根強い反対と子孫や関係者への配慮もあって,実現していません。
この八名の歴史を学ぶ会が出した結論が
ウィキペディアより正確な気がするのですが・・・
・「三州の石松」は実在の人物で,
愛知県新城市の出身で,墓も同所にある。
・「三州の石松」を「森の石松」という人物に創り替えたのは大正時代で,
これは浪曲師と小説家の合作。
・隻眼(せきがん)は次郎長の別の子分豚松がモデルで,合成されたようである。
・森の石松の墓が森町大洞院につくられたのは1935年(昭10)で,
浪曲がラジオで放送されるようになった頃である。
(ラジオで人気になったから慌てて墓を作ったとされる
元々森町にお墓があったわけではない)
・「森の石松」は,「三州の石松」らをもとに,
浪曲師と作家が次々に物語をふくらませた
架空の人物。
というわけで、わたくしもこの説に一票投じます
で、この墓地の一角に故・中村メイコさんの父親のお墓もあります
(中村メイコって言ったって今の人は知らないだろうが・・・)


(左から)
中村メイコさん、神津(こうず)善行(よしゆき)、
長女 神津カンナ



更に石松の生家跡も訪ねてみました(こっちも再訪)
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国道301号から宇利(うり)川方面へと狭い道を入るのですが
肝心の国道には一切案内はありません
狭い道を行くと角っこにやっと・ほんとちっちゃく案内板


この交差点を北に進むと・・・
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ただの野原に案内板と説明版がポツンとあるだけ
これをじっくりと見るのに数分も掛かりません
はっきり言いましょう!
これを見ても何も面白くもありませんw
そのことが新城市も重々わかっているから
大した宣伝もしていませんし、不親切な案内板しか立てていません
三州の石松、やはり郷土では嫌われ者なのでした