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珍布峠

三重県松阪市にある珍布(めずらし)峠に立ち寄ってみました

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和歌山街道と呼ばれる旧道にあるです

同市飯高(いいたか)町赤桶(あこう)側より向かってみました

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櫛田(くしだ)川に沿って狭い道を走って行きます

こちらはウォーキングコースにもなっています

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↑欄干付きの洒落た橋=

検校(けんぎょう)橋祢宜(ねぎ)橋坊主橋

ってガードレール付きなんですが?

これが洒落てる???w

検校(けんぎょう)は、平安時代鎌倉時代に置かれた荘官

社寺荘園監督役職名である。

室町時代以降、盲官(盲人の役職)の最高位の名称と定着した。

檢校あるいは建業とも書いた。

 

禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。

今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、

宮司を補佐する者の職称となっている。

禰宜は、年齢的にある程度成熟し、知識や経験が豊富な者が務めることが多く、

一般に、祭祀では重要な役割を果たす。

坂の途中に下の川が見張らせる場所があります

その川に礫(つぶて)石があります

arurun.com

礫石(つぶていし・Tsubute ishi)は天照大御神伊勢国大和国の国境を決めるために投げ込んだという伝説がある巨岩で、珍布峠とならぶ「国分け伝説」の史跡です。岸から投げた小石が当たれば男子が、外れれば女子がさずかるという、地元の言い伝えがあるそうです。

www.city.matsusaka.mie.jp

昔のこと、天照大神(あまてらすおおみかみ)が白馬に乗って

珍峠(めずらしとうげ)にさしかかり、国境を尋ねると、

天児屋根命(あめのこやねのみこと)があらわれ、

「この下の堺(かい)ヶ瀬が伊勢大和の国境」と答えた。

大神は、「この境は疑わしい。」と言い、大石を川の中に投げ入れ、

波のとどまる所で決めることにした。

そして、傍らにあった大石を礫のように投げ入れると、

川の水は大きな水柱となり、にわかに滝のように落ちた。

そこで、このあたりを滝野の里と名付け、

勢いよく川上に逆流していった波の様子から、

それぞれの地名を加波(かば)の里、波瀬(はぜ)の里、

舟戸(ふなと)の里と呼ぶようになった。

さらに激しい勢いで逆流していった波は高見山(たかみやま)に達した。

この日より高見山を伊勢と大和の国境と決めた。

それから、赤桶(あこう)地内の櫛田川にある大石を

礫石と呼ぶようになったとの言い伝えがある。

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礫石からほんの少し上がると目的の珍布峠に到着

www.iitakaeki.com

素掘りの切り通しになっている「珍布峠」。

天照大神(あまてらすおおみかみ)と天児屋根命(あまのこやねのみこと)

出会ったといわれる場所で、この2神による“国分け伝説”の史跡です。

夏には清涼な川風が吹き抜けます。

www.kankomie.or.jp

旧和歌山街道、天照大神にまつわる伝説の峠を珍布峠という。

”昼なお暗いよ「めずらし峠」”

天照大神天児屋根命がバッタリ会われ「おお、めずらしや」と言われたことから

「めずらし峠」と呼ばれるようになったといわれています。

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これだけの切り通しの峠も珍しいです

かなりの圧迫感があります

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わたくしの画像はイマイチだがストリートビューで見ると

十二分に圧迫感が伝わると思われる

 

www.instagram.com

観光三重の画像だとちょっとした幻想的な場所にも見えるから不思議だ

情報では車ではこの峠に行かない方がいいとかあるが

軽なら楽勝で通れます(さすがに3ナンバーはやめた方がいい)

ただし道中(飯高町宮前側から来る道も含む)は道幅がやはり狭く

離合・すれ違う場所がほとんどないので

鬼バックの出来ない人は止めた方が賢明でしょう

(バックモニターに頼ってるようではダメ!w)

 

雰囲気のあるこの珍布峠

是非一度行って見てください

 

追記

途中に死人谷なる個所があったのだが見落とした

く~~~残念


『死人(しびと)谷』s-07死人谷.jpg
現在は鬱蒼とした杉林になっていますが、

街道だった頃は松並木が続いていました。

辺りに人家がなく、生き倒れになった旅人もいたことから、

「死人谷」という名前が残っています