➀からの続きです
貂飛(てんとび)トンネルから先、道幅が狭くなった未成道は
500メートルほどで呆気なく終わりを告げます
目の前に叢(くさむら)が現れて終わりとなります
その叢の先は・・・
平原となった叢の先には小高い台地が立ちはだかっており
計画ではこの台地を切り崩すのか?トンネルを造るつもりだったのでしょうか?
表現は正しくはありませんが今となっては
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡と言ったところか?
この叢の入り口には誰かが草を刈り取ったのでしょうか?
道筋らしき跡がありまして、そこを進むと・・・
そこを行きますと、コンクリート土手があり、そこから
黒川を挟んで対岸の県道187号の
ロックシェッドが見ることが出来ました
これを県道側から見ますと
[http://:title]
↑丁度鉄塔の下辺りが未成道の個所
現県道より遥かに高い位置の対岸に道を造る予定だったようです
ちなみにこの突き当りの叢から右に伸びる道もあるのですが
堰堤を造るための作業道だったようです
さてこの未成道、ヨッキれん氏の記事によれば
黒川ダムを造るための道だったとされております
黒川ダム(くろかわダム)は、
富山県富山市、一級河川・神通川水系黒川に建設される予定だったダム。
1973年、総事業費147億円、昭和69年完成予定の事業計画が策定された。
翌年、1974年からは地形調査、地権者説明会、地権者連絡協議会設立等が行われ、
計画は順調に進んでいった。
1986年からは、ダムによって水没予定である県道の付替道路の測量が始まり、
一部工事着手された。
その後も、測量、道路拡幅、山地の買収交渉などが順調にすすめられた。
だが、水没予定地区に住む、一人の住人との交渉がうまく進まず、
ダム工事着手は先送りとなっていった。
用地買収は難航したが、工事用道路の建設等は進み、
1990年には貂飛トンネルが開通、1996年には新瀬戸橋が完成した。
しかし、長野県の脱ダム宣言など、全国で公共事業の見直しが始まり、
1999年~2002年に事業改廃評価委員会審議が行われた。
その結果、2002年、黒川ダム建設は当面休止となった。
参考ウィキペディア
(2005年に黒川ダム計画が中止と決まったようです)
ダムの計画によって途中まで造られた道=未成道
結局はダム計画中止とともに、中途半端な道となってしまったのでした
地元では未成道が『何とかならないか?』とつぶやいてみえるようですが
計画中止から早15年以上放置されています現状を見ますと
いくら地元が騒いでも何ともならないのが実情何でしょうね
県道187号は確かに狭くて通りにくい道なんですが
いかんせん利用者も少ない
(この奥に住んで見える住人の数も少ない)ですから
お金を掛けてまで未成道をバイパス化させる必要はないと
富山県は考えているのでしょうね?
次回はこの奥に造られた新瀬戸橋です