前回からの続きです
さて今回は2005年(平成17年)の日本人口重心地です
岐阜県関市富之保
(関市立武儀(むぎ)東小学校)から北約2260m)
東経137度00分27.43秒
北緯35度36分20.65秒
県道325号沿いの山の中となります
こちらを訪ねて記事にされているのは週末大冒険さんだけ
もちろん今回は週末大冒険さんの記事を大いに参考にさせていただきました
県道325号を走りますとこれより雁曽礼(がんそれ)と
表示された案内地域看板が立っております
[http://:title]
↑現在はこんな様子なんですが
2012年のストリートビューでこの場所を確認すると
[http://:title]
この看板の下に消えかかって読みにくいですが
←人口重心地とちゃんと案内看板が掲げてあったのです
この時点ですでに怪しい雰囲気を感じ取っていただけますでしょうか?
一時はちゃんと案内看板があったのに、今はないのです・・・
案内看板の先の小さな橋を越え、左の舗装された林道を入って行きます
100メートルも進まない内に道はこんな状況↑
現在全く利用されていない林道であることが明白です
仕方なく車をここで停め、歩いて坂を上ることにしました
しばらく歩くと突き当りの感じになります
あれ?何もないのだが???
そこにあったのは害獣用の鉄罠のみ・・・
いくら周りを見渡しても週末大冒険さんの記事で見た
(↑すいません 勝手に画像をお借りしました)
記念碑がどこにもないのだが?
なくなってしまったのだろうか?
と、探索一回目はここで簡単に記念碑はなくなってしまったと諦めた
が、家に帰ってもう一度週末大冒険さんの記事を見直すと
↑こんな現地では見なかった山道が写されていた
あれれ?もしかして突き当りの左手に見えた↓
小さな沢沿いに伸びる廃道らしき道がそれだったのか!?
まさか?これ???
しかし現地にはこれくらいしか道らしき道はない
半信半疑この道を行くことにしたのだが
もうこれは道なんてものではない
ただの急な斜面を無理やり登っているようなものである
邪魔な草木をかき分けて藪漕ぎ状態が続く
10分以上格闘し続けただろうか?
もういい加減諦めた方がいいのか?と思った先
右手に沢が流れていたのだが、それが更に分岐したところの先に
ついに現れました 日本人口重心地
それもこれはもう見るも無残な状況
が~~~ん、それ!?
所かまわず生えた雑木に囲まれ、3本の記念碑もよくわかりません
(2008年の初回に訪ねられたと思われる週末大冒険さんの画像と見比べると
この無残な状況がよくお判りいただけるかと)
折角の記念植樹された木も長年ほったらかしなんでしょう
下手すりゃどれがその記念樹なのかもわからないようなもの
いやいや関市さん、これは酷いんじゃないですか?
折角記念にお金(税金)を掛けて造ったものを、完全放置するとは!?
これじゃあ記念樹を植えた意味もありゃしない!
まぁこんな山の中には誰も見に来やしないでしょうが
それはそれで当初ここに造る時に簡単に想像出来たこと
何のビジョン・予測もなく、こんなの造って、何を考えていたんでしょうね?
当時の関市長に謝ってもらいたいものです
今やみんなこんなもの造ったことさえ忘れてるからいいと考えているんでしょうか?
関市さん、これでは市民に税金を納めろ!と強くは言えないでしょうが・・・
以上、悲しいかな、現在日本人口重心2005は
かなり悲惨な状況となっておりました
はっきり言って現在これを見に行っても悲しくなるだけです
みなさまの心の奥にこんなものが
関市の山中にあることだけ知っていていただければよろしいかと
今回は週末大冒険さんの記事を大参考にさせていただきました
ありがとうございました