前回からの続きです
最後の最後はこの國道拾九號線の旧旧道部分
真骨頂部分と呼ぶべき
矢筈(やはず)橋~山口ダムの個所は
現在どうなっているのか?
もちろんダムより上流の旧旧道部分ダム湖の下に沈んでおり
現在は確かめることは出来ません
わずかに残ったこの区間を歩いて確かめます
ちなみにここは以前も申した通り県道6号も兼ねた個所でもあったはず
その県道6号をウイキペディアにて調べますと
- 1959年(昭和34年)8月1日:長野県道犬帰中津川線の認定。
- 1982年(昭和57年)4月1日:犬帰中津川線を主要地方道中津川山口線に指定[6]。
- 1983年(昭和58年)1月17日:長野県道犬帰中津川線を長野県道72号中津川山口線へ変更。
- 1993年(平成5年)5月11日 - 建設省から、県道中津川山口線が中津川山口線として主要地方道に指定される[7]。
- 1994年(平成6年)4月1日:路線番号を72番から6番へ変更。
- 2005年(平成17年)2月13日:木曽郡山口村が中津川市へ越県合併。終点を木曽郡山口村から中津川市へ変更。(告示は2月10日)
- 2010年(平成22年)12月24日:終点を岐阜県中津川市から長野県木曽郡南木曽町田立に変更するとともに、路線名を中津川山口線から中津川田立線に変更[8][9]。
この地が犬帰(り)と呼ばれた地だったことがわかります
その名の通りここは犬も帰る(引き返す)ような
難所・険しい道・場所だったようです
(これに関してはうさ★ネコサンドさんの記事にも書かれてます)
余談ですが
犬返り橋と言うのもありますよ
(記事こちら)
では、そのうさ★ネコサンドさんも歩いた(2006年)と言う
道を進んで見ましょう!
↑矢筈橋より下流方向(歩いて来た道)
↓これから向かう上流方向です
とても今ではここが国道だったのか?とは思えませんが
それなりの道幅が現在も残ってます
もちろんそこは廃道一直線の道ですから
落石・倒木は当たり前のようにあり、道には植生も生えております
↑50メートルほど歩きますと大きな崩落個所
画像ではわかりにくいのですが、その先、ざっくり道が逝っちゃってます
そこを無理やり崩落個所に沿って、滑り落ちないようにトラバース
↑振り返っての図
再び道が復活するのですが、それもすぐにお終いなのでした・・・
30メートルも行かない内に完全崩落となっており
その先には道がなくなっていたのでした・・・
あと少しで山口ダムなのですが、肝心の道が続いてないからどうにもなりません
これはダム建設時に道そのものが取り壊されたのか?
はたまたダム建設後に道が崩れてしまったのか?
今となってはどっちなのかはわかりません・・・
多分↑の地図の+辺りまで近づいたと思われるのですが・・・
こうして今回、國道拾九號線 旧旧道探索は終えたのですが
非常に楽しい探索でした
やっぱ旧道には夢・浪漫がありますよね
みなさんも機会があればここを訪ねて見て下さい
ダム有り・隧道有り・橋有りそして旧旧道有りですよ!
次回からは久しぶりに林道ネタをお届けします
4本ほどたて続きますよ